歯科は独特だ。
例えば全身的な外科手術では、全身または全身麻酔と局所麻酔の併用などで体動のない状態で治療できる。
治療が意識下なのか、無意識下なのかという前提の違いは、実はとても大きい。無意識下だったら、歯科はここまで嫌われないだろう。
我々の分野では、常に舌が動き、起きている人間だからこそ不規則に嚥下運動をし、唾液がたえず流れる部位がフィールドになる。
轟音を響かせかながら超高速回転をするドリルで、機械から出る切削熱によって組織が痛まないように冷却としての水流ジェットを流しながら、我々側ではコントロールの効かないフィールドで、ミリ単位の正確な治療をするということなので、医療の中でもかなり高度な技術を要する分野だといえる。
このような環境下での治療だからこそ、世の中の多くの歯科医師の治療がうまくいっていないのだろう…結果、歯科には恐怖感やトラウマを抱えた人達がたくさんいる。
「あそこに行ったら美味しいものが食べられる♡」「楽しい遊びが待っている♡」といった幸せな気分で足を運ぶ場所と違って、憂鬱な気分で来られる方が圧倒的に多いのも、歯科の特徴。
もちろん、私もそのイメージを持たれがちなひとりとしてスタートする。
最初は小さな処置で手際の良さや配慮を散りばめ、信じて、委ねてもらいながら…心理カウンセラーのように相手の心を開いていき、やがて満面の笑顔に変えられるほどの「感動」まで提供できないと、私の仕事は成り立たなくなる。
我々プロの技術不足のしわ寄せが、我々にくるならまだしも、なぜか患者側にいくということが、悲しいことであり、そういうことにならないように強い意志をもって日々の診療において完璧を目指しているのだ。
そこそこではなく、完璧を。
ただ、自分の中の基準では完璧であっても、相手基準で「完璧」でなければ、ダメなのだ。
なので、まずは己をすてること、己の基準ではなく相手の基準を探すことから始まる。
繊細な感覚がいっぱい散りばめられている口という器官は、食べるという行動だけでなく、話すこと、良くも悪くも見た目の印象を与えたり、臭いによっては他人に不快な印象すら、与える。
目で愛を語るとも言うが、実際に多くの人にとって最もわかりやすく愛を語るのは口であり、あえてロマンチックな目線でいうと、好きな者どうし、ときに愛を交わすのも口腔領域・・唇である。
私の仕事は、そういう、多岐に及ぶ役割を果たす器官の、機能回復を促すことであり、100人いたら100通りの治療のアプローチがあるのだから、当然、マニュアルなど存在しない。
職人として、ときに心理カウンセラーにもなりながら、変幻自在な引き出しをいっぱい持ち、引き出すタイミングや、引き出した技の応用の仕方、魅せ方、全体のタイムマネジメント…多種多様な要素を、常に完璧な形をイメージしながら演出して、最終的には「感動」へと持っていく。持っていきたい。
そう、私の仕事は、人の自然治癒力の手助けをしているにすぎず、喪われた組織とその機能を回復するために人工物を埋めたり装着していくこと。
医療でもあるが、ひたすら「修理」をしているんだということを忘れないように自分に言い聞かせている。
修理したものは当然メンテナンスが必要で、“組織”が壊れた理由を説明し、他の部位が同じように壊れないような「対策(ケア)」を徹底して施すことに重きを置いている。
修理をして、自然治癒の補助をしているだけなので、何も偉そうにする必要も無いし、苦痛を伴うような修理など…ありえないと思うからこそ、その分野の職人としていかに「安全快適に」「スピーディーに」治す(直す)かを、徹底的に追究している。
治療という名に守られている我々の行為だが、自分は甘えないようにしている。仮に私自身が不確かな治療をしたならば、徹底して糾弾されてしかるべき、と。
あと私が自分の全ての行動においてブレずに実行していることがあるが、それは物事の価値を「絶対的なものとして捉える」ことである。
仕事以外で他者を評価することは、きわめて無意味な言動だと思う。だから、私は他人に対しては「協調」はしても、「同調」はしないと決めている。
学生時代も、集団行動はせずに徹底して集団から離れて授業を聞き、人に、とくに同性のグループには左右されない生き方を貫いてきた。
モノの価値を決めるのは自分自身であり、そもそも価値というのは絶対的なものだから。私の価値は私が決める。
親が私のことを大切だと思ってくれていることが全てなのだ。人には絶対的な価値がある。他者が他人の価値をどうこういう権利など、ないのだ。
他人の目を気にする人からみたら、人と違うことをしたらそれは「はみ出ている」と捉えられるのだが、本来、人とははみ出ているものであり、それをそれぞれの偏った枠の中におさめようとする行為自体、不毛なのだ。
私が今、唯一無二のサービスを歯科医師として提供できている理由があるとすれば、それは物事の価値基準は全て自分自身で決めて、他人に左右されることを嫌って、単独で行動してきたという、心の強さだと思う。
自由には責任が伴うが、責任を果たした者にだけ与えられる自由というものを思う存分満喫するのが私の人生の在り方であり、ポリシー。