90年代後半、クラブカルチャーが成長したこともあって、裏方だったDJが主役になり、旧来のロックコンサートのようなエンターテイメント性が強くなり、僕が10代の頃に惹かれた「これから何が起こるのか分からない」といったカオスな空間では無くなってしまったように感じ始めました。
その変化に少し違和感を覚え始めた僕は、音楽の裏方の仕事をしつつ、徐々にDJから音楽制作へとシフトしていきました。
『もっと自由に表現活動をやりたい』
そう思った僕は、音響的な電子音楽の製作や、アコースティックギターでの即興演奏など、ディープな音楽表現にめり込んでいきました。
その結果、10代からずっと夜行性の生き物だった僕は、30歳あたりを境に、健全な昼の世界に進出するようになりました。
ディープな音楽を突き詰めていった結果、広義的な解釈でのノイズミュージック(騒音という意味ではなく、口ずさめるようなメロディーや腰が動くようなリズムのない、一般的にノイズとと捉えられるような音を多用したサウンドアート)と呼ばれるような実験音楽に傾倒するようになっていました。
そもそも10代の頃に、福岡のパンクバンドGAIやCONFUSEなどのノイズコアと呼ばれた音楽のファンだったこともあり、ノイズミュージックへの傾向は原点に戻った部分もあったかも知れません(若干ノイズ違いですか)。
風の音や波の音にも似たような複雑にモジュレーションする電子音を深夜のワンルームマンションで日々製作していくうちに、外の世界にあふれているリアルな自然の音の複雑さを認識し、その音に触れたくなって、キャンプや焚き火をやるために山へ入るようになったのです。
小さなレコーダーとマイクを待って一人山の中でテントを張り、焚き火や虫の声などをフィールドレコーディングしたり、仲間たちと焚き火をしながら、自分たちが作った音楽の発表会をしたり。