原 文美

原プロ
衣食住をデザインする風水

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風水デザイナーとしての

原文美の流儀

私の風水の仕事は、間取りや日取りを考えるだけではなく、誰かのライフスタイルそのものを一番居心地のいい環境や状態にもっていくことを流儀としている。


建物が立派にできあがることがゴールではなく、これからこの家で生活していくことが楽しく幸せでなければ無意味なので、先の暮らしまでをみつめてお客様と膝をついて家づくりやお店づくりのアドバイスをさせてもらう。

とても残念に思う時があって、ハコだけ良くても中身が悪いケースがチラチラ見受けられ、とても残念に思う時がある。決してそうなって欲しくない。


風水で家づくりやお店づくりをする場合、理想と現実のギャップが大きすぎる。


決して理想通りには家づくりはできない。

風水を取り入れるが、良いところどりではなく悪いものを選択しない。というのが私の流儀。

風水ありきは、時々変な動線の家になって本末転倒になることもある。


良いとか悪いではなく、ふさわしいかふさわしくないか、という目線で判断している。


今は誰でも調べればある程度の知識と情報は得られるが、知識は合っているが使い方が間違っている人を見受けられる。

変な解釈で風水を取り入れて本末転倒になる前にあなたの信頼のおける専門の人に相談して欲しい。

風水デザイナー

原文美からのメッセージ

日常の楽しみ方が幸せを運ぶ

今これを読んでくださっているあなたが、もっと人生謳歌したい、幸せな日々を過ごしたいと願っているならば、とても簡単で気軽に実践できることを2つご紹介したいと思う。

 

ぜひご参考に。まず一つ目。

家の中に植物を置いて、いつも植物を活き活きとさせておく。

枯れたら感謝の気持ちを込めて処分。

私は、風水を勉強するまで植物とか全く興味がない人であった。

でも、五行を勉強して木・火・土・金・水の自然の要素の大切さ、素晴らしさをわかって、家の中に植物を置くようにした。

どういう効果があるのかというと、 人の運気を良くするも悪くするも、住環境が決め手になる。

植物から出るエネルギーが家の中の気の流れを安定させてくれる。

 

家は、エネルギーの充填所みたいなところと言ったらわかりやすいだろうか。

どんよりした重い空気の家の中では運気は上がらない、仕事もうまくいかない、人付き合いもうまくいかない。

あなた自身の運気の安定、運気アップするには、まず、住環境を良くすること。

本当はそれぞれ置き場所が決まっているが、手軽に観葉植物を家の中に置いてみてはどうだろう。

各家の間取りによって場所が違うので一概に今はどことは言えないが、色々言うと混乱すると思うので、ひとまずリビングなど長い時間過ごす部屋に置いてみてはどうだろう。置かないより置いた方が良いので。

大切なことは、住んでいる人が心地よく居心地が良いと感じる家にすることである。

我が家でいうと、これ幸いと思えることが一つある。

結婚して今17年目だけど今のところ夫婦喧嘩はしたことない。

争いごとがない平穏な家の中。

2つ目に、

祐気取り(ゆうきどり)と言って、年の吉方位や月の吉方位に温泉や神社参りに行くことで運気が良い方向に変わっていく。

すぐに効果は出ないが、欲を出さず諦めず、温泉旅行を楽しみつつ、徳を積んでいけば一石二鳥。


休日は家族で温泉や神社へプチ旅行へよく行った。

 

自然に月曜日から清々しく仕事ができていた。
「あ〜 月曜かぁ…ダリィ〜な〜 」という気分には私も夫もならなかった。

 

神社はパワースポットと良く言われるように、とても良い土地に存在している。

そして、神社と温泉はいつもそばにある。

温泉が先でも神社が先でも良いが、温泉行ったら神社に寄って日頃の感謝をご挨拶すると良い。

夫は仕事で良い事が続いた時期があった。

会社の電話をたまたま取ってそれが新規顧客となるいい案件だったり、巡回営業で新しい受注を受けたりというのが続いたようで喜んで報告してきた。

きっと本人は今覚えていないと思うけど、「いいこと続きで気持ち悪いんだよな」と言っていたのを私はしっかり覚えている。

仕事運が上がっていた。祐気取りの効果!

アクセス情報

お店の名前ハラプロ
お問い合わせ050-5373-9340
Mail Address 
営業時間10:00〜18:00
定休日不定休
Address福岡市博多区奈良屋町10-15

原文美の自己紹介

風水との出会い

会社員時代、部署を異動したばかりの頃の話。

会社が主催したエンドユーザー向けの風水セミナーがあった。


私は異動してきたばかりでセミナー当日のお客様対応が最初の仕事であった。

風水とは無縁で無知。

でも、どんなものなのか非常に興味深かったので話しが聞けるなんて役得だな〜と気軽な気持ちで一番後ろで聞いていた。


そしたら「へえ〜!!! そうだったんだ〜!!! 」
と驚きと感心することばかりで時間があっという間に終わった。


話がとにかくおもしろい!


全てに根拠がある事に、私の中にはスーッと何か入り込んでいった。

その時に新講座がスタートするという告知を聞いて「勉強したい!」と即決し、今に至る。


きっかけは単純に自分のために、という思いでスタートした。

イメージしていた風水とは全く違った!

無知だったから何も情報を知らなかったけど、この私も最初は占いっぽいものなのかな〜とぼんやりしたイメージを持っていた。


風水の原点は、とてもシンプル。


農耕民族が稲作をするための手法として、
風が吹かず、水がある土地で種を蒔くタイミングと収穫するタイミングを見つけ出した学問なのである。


私も初めて聞いた時、目から鱗だった。


全て陰陽と五行の思想である。

場所が良くても種まきの時期を間違えると実はならない。

場所も時期も大事。


それが現代の家づくりに活用されている。


大昔の中国では、皇帝の側に風水師というとても大事な影の立役者が重要なポジションに就いていた。


どこに戦に行けばいいか、いつ攻めに行けばいいか。


その決め手は、地理と天文の原理原則を使った風水であった。

一度きりの人生を思う存分に生きたい!

21年間会社員をやって起業。

周りの人はみんな大企業を辞めるなんて勿体無い!

と口を揃えてたくさんの人から言われた。


仕事はやりがいがあり充実はしていたものの、このまま定年まで一つの会社で人生を送ることが、私自身の人生経験が無さすぎると思った。


一つの会社で人生を全うする人がみんなそうだ、というわけでは決してないので誤解しないでほしい。


あくまでも、私自身の話。


人生80年としたら、私はまだまだ未経験なことが盛りだくさん。

未知なこと、やりたいこと、が残っている!
37才から自分のこれからの人生を考えだした。


風水の勉強を始めたのもこの頃。


風水を勉強している時がとても楽しかったので、将来、風水を仕事にできたら幸せだな〜と、遠い未来を夢見ていた。

これからのビジョン

自然環境学、建築学、医学、全ての集大成が「風水」だと私の中で認識しているが、なかなか日本ではまだ馴染んでいない。


中国や香港、シンガポール、台湾などでは、生活に当たり前に風水は取り入れられているし、あるのが当たり前な世界。中国だけではない。


アメリカやヨーロッパなどにもかなり風水は取り入れられている。


世界共通の学問であり、生きていくために必要な智慧が風水である、と私は思う。


風水は決して流行り物ではないので、時代が変わっていっても基本的理論は変わらない。



もっともっと日本でもこの術を知ってもらえるように伝えていきたいし、建築業や医療に携わっている人とも連携していきたい、と願う。

原文美のHistory

1974福岡市で生まれる。3700gのビックベビー。母がたいそうきつかったそう。
1984リーダーとか学級委員とかいっぱいリーダーシップを取る元気な女の子。ピアノ、お習字、剣道、英会話と習い事ざんまいな小学生。剣道は練習が厳しくてきつくて泣いたこともしばしば。その涙のおかげで根性ついたと思う。試合で男の子に勝つと男の子が悔し泣きしていたのは今でも覚えている。私はかなり気分良かった。でもきつい練習に耐えられず、こんなスポーツ誰が好きになるもんか!とずっと思いながら半分嫌々ながら小学2年から中学3年まで頑張った。習ったきっかけは母の勧め。母が子供時代にやりたかったけど祖父から反対されたとか。母の願いというか想いを私に託されたのか!?
1989中学3年の時、剣道の先生に高校は剣道で推薦を出すと言われたけど、「冗談じゃない!私は剣道で人生が決まってしまうのはごめんだわ!」と思って断った。なぜなら私の将来が15才で決まろうとしていた。就職先は県警…。この時が人生最初のターニングポイントかも。
1990高校生活はいたって普通の女子高生。部活も何もせずただただ平凡な日々。
1992将来のビジョンが全く描けず行きたい大学も特別なく進学に対して目標がボンヤリし過ぎていた。(たいして勉強もがんばっていなかったので成績も良くなく。)みんなが大学行くから自分も行っとかないといけないのかな…みたいな目的がないまま推薦を受けたら想定通り落ちて、ビジネス専門学校に進学することに方向転換。
1993

専門学校が性に合っていたみたいで、1年生から積極的に資格取得に励んでいた。結果大学行かず良かったのだ。毎日休まず学校行って勉強に励んでいたけど苦痛じゃなかった。専門学校の授業って楽しいな〜!と思っていた。

1994 【 就職試験の大失態!】西部ガス(株)の推薦入試を受験。学力試験、論文、面接の3つの試験。論文で出されたお題が、あなたの自己啓発について書いてください、だった。私は「自己啓発」という言葉を初めて聞いて全く意味が分からず青ざめる。あの頃はほんと語彙力がなかったなーと今思う。全くペンが進まず白紙のまま終わりそう、と焦りが出て落ち着かなくなる。いてもたってもいられなくなり、試験中に部屋を退出し採用担当者が待機している隣の会議室へ。「自己啓発の意味を教えください」と聞きに行ってしまった。当然驚かれ「それを言ったら試験になりません。自分で考えてください! 勝手に部屋を退出したら棄権とみなしますよ!」と追い返さる。可能性ゼロだと自信喪失。論文も何て書いたかさっぱり覚えていない。
1995個性がある、ちょっと変わった奴、という評価だったようで、西部ガス(株)に採用される。最初の配属部署は人事部。就職試験で困らせた方々が上司や同僚になるという不思議な縁。
2002結婚。元々結婚願望が全くなかった。仕事は好きだしずっと働いていたい、という考えだった。独身で仕事一筋でいくだろうなと想像していた。一人暮らしの憧れが強かったが、家が厳しく30才になったらOKだったので30才になるのを待った。しかし結婚が先になった。私の結婚相手の第一条件であるお酒が強い人と縁があり結婚。
2005長女誕生。非常に育てやすい子。これなら3人ぐらい欲しいなあ、と思っていた。
2007次女誕生。長女と正反対でやんちゃで育てるのが大変な子。私のお腹から出てきたこの2人はなぜこんなに性格が違うのか…と本当に不思議だった。この子のおかげで、子供3人なんて絶対いらない!! とあっさりきっぱり考えが変わった。職場復帰に向けて育休中に断乳をやったのだが、気が狂ったように泣き止まない日々が続いて私も一緒に泣いていた。負けてたまるかー! と思いながら。笑。親も子もたくましくなっていった。
2011「風水」というものを初めて知って、今の仕事のきっかけとなる。
2016西部ガス(株)を退職。起業。ハラプロを設立。

原文美の趣味

好きなことは、美味しいアテで好きなお酒を飲むこと。

なので、つまみを作るのは得意。


できれば死ぬまで好きなお酒が飲める健康体でいたい。(嗜む程度でいいから。)


ビールに始まり色々飲んで最後にまたビールで締めくくる、っていうタイプ。

酒のアテがないなら、柿の種で満足する人。あとカラムーチョがあればいい。

最近は旅をしていないが、旅先で美味しいお店を見つけるのが得意。


直感でお店に入っても、ほとんど失敗した事はない。


旅先でその土地の美味しいものとお酒は最高に幸せを噛みしめる。

写真を撮るのが好き。


綺麗な写真が自分で撮れるようになりたいと思って、一眼レフを写真家に学んだ。

最初の頃は自分が作った料理をよく撮っていた。作ったついでに写真が撮れるというわざわざ感がなくて都合が良いし、色彩が豊富なので練習になる。

「おいしそ〜」と思える写真になるために良い練習になった。

それからは徐々に人物を撮ったり景色を撮ったり、と旅行の時などは必ず一眼レフで出かける。


最後に趣味というか特技というか。

子供の時から習っていたお習字。


我が子がお習字教室に通うことがきっかけで自分も再開。


中等師範免許までは持っているので中学生までは指導できる。


大人も教えられるぐらいになるまでがんばろうという目標がある。

おばあちゃんになったらお習字の先生になりたい。