1974 | 福岡市で生まれる。3700gのビックベビー。母がたいそうきつかったそう。 |
1984 | リーダーとか学級委員とかいっぱいリーダーシップを取る元気な女の子。ピアノ、お習字、剣道、英会話と習い事ざんまいな小学生。剣道は練習が厳しくてきつくて泣いたこともしばしば。その涙のおかげで根性ついたと思う。試合で男の子に勝つと男の子が悔し泣きしていたのは今でも覚えている。私はかなり気分良かった。でもきつい練習に耐えられず、こんなスポーツ誰が好きになるもんか!とずっと思いながら半分嫌々ながら小学2年から中学3年まで頑張った。習ったきっかけは母の勧め。母が子供時代にやりたかったけど祖父から反対されたとか。母の願いというか想いを私に託されたのか!? |
1989 | 中学3年の時、剣道の先生に高校は剣道で推薦を出すと言われたけど、「冗談じゃない!私は剣道で人生が決まってしまうのはごめんだわ!」と思って断った。なぜなら私の将来が15才で決まろうとしていた。就職先は県警…。この時が人生最初のターニングポイントかも。 |
1990 | 高校生活はいたって普通の女子高生。部活も何もせずただただ平凡な日々。 |
1992 | 将来のビジョンが全く描けず行きたい大学も特別なく進学に対して目標がボンヤリし過ぎていた。(たいして勉強もがんばっていなかったので成績も良くなく。)みんなが大学行くから自分も行っとかないといけないのかな…みたいな目的がないまま推薦を受けたら想定通り落ちて、ビジネス専門学校に進学することに方向転換。 |
1993 | 専門学校が性に合っていたみたいで、1年生から積極的に資格取得に励んでいた。結果大学行かず良かったのだ。毎日休まず学校行って勉強に励んでいたけど苦痛じゃなかった。専門学校の授業って楽しいな〜!と思っていた。 |
1994 | 【 就職試験の大失態!】西部ガス(株)の推薦入試を受験。学力試験、論文、面接の3つの試験。論文で出されたお題が、あなたの自己啓発について書いてください、だった。私は「自己啓発」という言葉を初めて聞いて全く意味が分からず青ざめる。あの頃はほんと語彙力がなかったなーと今思う。全くペンが進まず白紙のまま終わりそう、と焦りが出て落ち着かなくなる。いてもたってもいられなくなり、試験中に部屋を退出し採用担当者が待機している隣の会議室へ。「自己啓発の意味を教えください」と聞きに行ってしまった。当然驚かれ「それを言ったら試験になりません。自分で考えてください! 勝手に部屋を退出したら棄権とみなしますよ!」と追い返さる。可能性ゼロだと自信喪失。論文も何て書いたかさっぱり覚えていない。 |
1995 | 個性がある、ちょっと変わった奴、という評価だったようで、西部ガス(株)に採用される。最初の配属部署は人事部。就職試験で困らせた方々が上司や同僚になるという不思議な縁。 |
2002 | 結婚。元々結婚願望が全くなかった。仕事は好きだしずっと働いていたい、という考えだった。独身で仕事一筋でいくだろうなと想像していた。一人暮らしの憧れが強かったが、家が厳しく30才になったらOKだったので30才になるのを待った。しかし結婚が先になった。私の結婚相手の第一条件であるお酒が強い人と縁があり結婚。 |
2005 | 長女誕生。非常に育てやすい子。これなら3人ぐらい欲しいなあ、と思っていた。 |
2007 | 次女誕生。長女と正反対でやんちゃで育てるのが大変な子。私のお腹から出てきたこの2人はなぜこんなに性格が違うのか…と本当に不思議だった。この子のおかげで、子供3人なんて絶対いらない!! とあっさりきっぱり考えが変わった。職場復帰に向けて育休中に断乳をやったのだが、気が狂ったように泣き止まない日々が続いて私も一緒に泣いていた。負けてたまるかー! と思いながら。笑。親も子もたくましくなっていった。 |
2011 | 「風水」というものを初めて知って、今の仕事のきっかけとなる。 |
2016 | 西部ガス(株)を退職。起業。ハラプロを設立。 |