筑後川の近く、うきは市で幼少期を過ごしました
両親は魚屋さんを営んでたので、おいしい魚を沢山食べて育ちました、それはホントに感謝しております。
幼児の頃、親の仕事が終わるまで魚屋さんの商品の入ってたダンボール箱の中に入りこんで
ダンボールの内側にずっと絵を描いて遊んでたりもしたそうです。
絵を描くことが好きで高校もデザイン系の学校へ進みました。。
20代は様々な仕事を経験(3度の就職)、その後は、やはり自分は絵を描いたり音楽活動がしたいと、アルバイトしながら絵を描く日々、そして曲を作り歌う日々。絵を描いては個展をして絵を売ったり、イラストの営業に行ったり。本屋でふと手に取った雑誌を見て、アートディレクターやデザイナーに会いたいと思えば、自分の作品の詰まったポートフォリオを持ってフットワークは軽く東京まで売り込みに行ってみたり、いろんな人に沢山会いました。
まだインターネットも普及してない時代、自分で動くしかなかったんです。なんなんでしょうこの行動力、今思えば若気の至りのようにおもえますが、フットワークは軽く世界は広く感じていました。
何事も行動を起こして経験して学ぶわけで、褒められる事もあれば、心折れるほど駄目出しを喰らう事もありましたが全て経験。イラストも独学でいろいろ勉強、いまだに終わりはありません。
音楽も高校時代からギターを弾いてましたが、90年代後半からいろんなライブハウスで歌ってみましたが、天神にある照和で3.4年ほど弾き語りで歌いました、ギャラもなければノルマもない、ライブ終わりに一杯だけ出演者はドリンクが貰えました、それでも嬉しかったし、毎日いろんなミュージシャンが自分の世界を表現するわけで、お客さんが出演者だけのときもあったかと思えば、立ち見が出るほど満席のときもあったりと日々刺激でした。
その当時はケーキ屋さんでアルバイトしてて、
シェフにきたえられて、いろんなケーキ作れるようになりました。いちごのムースを分離させてしまい泣きそうな僕に、目の前で魔法をかけたかのようにムースをつなげたり、プロはすごいと感じました。
シェフが売り上げとか原価計算とかしてるの見てて利益をあげるのは大変だが、シェフの作る新作ケーキに行列ができたり、すごく売れたときは嬉しくて、いずれ私も自分で商売したら楽しいんだろうなぁと思いはじめた時期でした。
そんなアルバイトに絵や音楽と並行して、車に古着を積み込んでフリーマーケットで販売してみたり、古着を卸したりと、何が本業なんだかなぁ?という生活。
でも自分の好きな事を極めたいと思いつつ。古いものが好き、ファッションが好きなことには変わりないが、自分で商売を始めるきっかけも無く、自由な日々が続いてました。
2003年、商売を始める。
そんなとき2003年です、お洒落横丁という小さな店が集まるスペースが今泉にできるって事で、何かやらないかと誘われ、そこを2坪分借りて商売を始めました。
ほんとに小さなとこからコツコツ始まった古着&古道具屋の開業でした。
レトロなものが好きなんです。
自分の好きな世界、果たしてこれで商売は成り立つのやらと思いながら、そこで1年ほどやってみて、なんだかこの仕事、自分に合ってる気がして商売の感覚をちょっぴり掴んだ気もして。
その後、現在のお店のある雑居ビルの4階で商売をはじめたわけです。古着屋の仕事にのめりこみます、古物の世界にはまってしまいます。そしてマイペースではありますが、時間の流れは早いもので15年ほど今の仕事をしています。
継続は力なり
並行してイラストのお仕事も描き続けてれば誰かが見てるもので、ありがたいことに仕事依頼がポツポツ来ちゃったりして。続いていますよ、イラストのお仕事はここ5.6年くらいはレギュラーで、新聞にマップを描いてます、目からビームがでています。続けることは大事なのかもしれません、継続は力なりと言う言葉があるように。これからもレトロな世界を極めつつ、ビームのでてる絵をずっと描いていきたい、そう思う今日この頃です。