1980年に熊本で生まれました。
父方の家系は、
曽祖父が和菓子職人 祖父母が洋定食屋、叔父が中華料理、父は洋食の料理人
という料理人一家でした。
両親共に人吉市の出身です。
ちなみに祖父母の経営していた洋食屋さんの名前は「七福神」でした。道路を挟んだ向こう側にパチンコ屋さんがあったのが名前の由来だと思われます。
とは言え、特に英才教育的に育ったわけではありません。
米は魚沼産コシヒカリで、味噌は無農薬大豆から作る一子相伝の自家製で、大間のマグロを一口食べては「お母さん、今日は脂のノリがイマイチだね」としたり顔で頷くようなそんな家庭ではありませんでした。
どちらかというと料理が苦手な母の作るものを主に食べて育ちました。
子供の時から食べ物が好きだった私は、とにかく食い意地が張っていました。
テレビで見る美味しそうな料理をみては、母にねだったものです。
デミグラスソースハンバーグ
牛テールスープ
和牛の赤ワイン煮込み
その都度母は、あがんとは子供の食べるもんじゃなか、と。
却下され続けました。
そのストレスの反動かどうかは分かりませんが、
ある日お小遣いで「きょうのおかず」
という本を購入しました。
あれは確か小学校5年生の時でした。
開くページ開くページに興奮したのを覚えています。
ある日テレビで「ペペロンチーノ」の作り方を取り上げていました。
私の持っている「今日のおかず」という本には載っていない料理にまたまた興奮し、慌ててメモをとりました。
そのメモを母に見せると、「これなら全て揃う」と。
あの料理嫌いな母が立つ台所にペペロンチーノを作れる材料が眠っているなんて。期待に胸を膨らませて待っている私の目の前には、次々とペペロンチーノの材料が。
しかし何かが違うのです。
オリーブオイルはサラダ油。
パスタ麺は「サラスパ」。
ニンニクはチューブ。
鷹の爪は、七味唐辛子。
そして、パセリのみじん切りは「青のり」
最後のは今考えてもあんまりじゃないかなと思うわけですが、とりあえず材料は揃ったので作ってみました。
たっぷりのサラダ油ににんにくチューブと七味唐辛子を加え、しんなりとしたサラスパをドバッと入れて最後に大量の青のりを。
味はご想像にお任せしますが、
11歳の少年が大人に裏切られたと感じた瞬間の一つだったことは記憶に刻まれています。
中学生の時は、魚の「あら」、いわゆる骨と頭を買いまして、潮汁をよく作ってました。
あらを丁寧に洗って、水から煮立たせ、アクを丁寧に取り除き酒を加え最後に塩で味を整えます。
たまに興味本位で味見をした父から
「汁物は一口目で美味しかったら、それはもう辛いんだ」という、なかなか高度なアドバイスを貰ったり。