水野 健児

PINOX
完全予約制の一軒家フレンチレストラン

水野健児のプロフィール画像です。

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PINOX オーナーシェフ
水野健児からのメッセージ

PINOXの流儀について

完全予約制という特別な空間の中で、
非日常をお客様に楽しんで頂くように日々模索しております。


そして、わたしの想いをまっすぐに伝えられる様に、
全ての料理の説明は、自らすべて行います。


Pinoxでお出しする料理は、

すべて糸島近郊の食材だけで構成されています。


バターは自家製の発酵バター。
パンは、糸島の果実から起こした天然酵母で焼いています。生ハムもサラミも全て自家製です。



また、PINOXは、場所自体も特別です。

日本最大級の銅鏡(内行花紋鏡)が出土した平原遺跡に隣接した土地にお店を構えており、辺り一帯は平原歴史公園として整備されています。



訪れるとその歴史を感じるだけでなく、

良い気を貰えるパワースポットでもあります。


皆様のご来店を心よりお待ちしております。

Pinox水野健児が考える
現代料理とは

Pinoxはランチ2組 ディナー1組の完全予約制です。

季節に合わせてメニューを作るのですが、試作の期間が約2ヶ月掛かります。


一つの料理を思いつくのに、長いときで1ヶ月程掛かります。

その間書物を読みふけり、他にもできるだけあらゆる文化を頭につめこみます。


料理の本だけではなく、小説や生物学の本、小林秀雄、心理学や志ん朝の落語など気になったものを片っ端からつめこみます。

最近は古い料理の本を読むことが多いです。

「春苦味 夏は酢の物 秋辛味 冬は油と 合点して食え」 

という言葉を知りました。


要約すると、旬の食材は人の身体の摂理に準ずる、とでもいうのでしょうか。


旬の食材は旬だから美味しい!という事ではなく、きちんと意味があって身体が必要としている。だから「美味しいと感じる」のだと。

石塚左玄 明治の医者の言葉です。


礼記(らいき)という紀元前200年前の中国の書物にも似たような言葉があります。


こちらは、味付けの指南ですが、やはり同じ意味合いのようです。


魯山人からは、けばけばしい派手なだけの料理の無意味さ、食材の本来の味を引き出してこそ料理、ということを改めて学びました。


古代ローマの料理の本には、驚かされました。


まず豚の型を作り、それに魚の切り身を貼り付け中に詰め物をして焼きます。

型を外して提供すると、それはもう豚の丸焼きにしか見えないのです。


フルーツに串を沢山さしてウニに見立てる、という同じ料理人として同情を禁じ得ない料理もありました。


この食事の席に魯山人が居たらきっと無言で立ち去ると思います(笑)


昔の本を読むという、何気なくたどり着いた方法ですが、これぞまさに温故知新だなと。


たかが一人の料理人が、思いついた料理なんてたかが知れている。

しかしひとりひとりが少しずつ向上させてきた技術や考え方が後世に残る。

と、こういう考えに至りました。


そして、現代料理とは、”過去には無かった「テクノロジー」を利用した料理”と結論付けました。

私の厨房には、温度計や真空パックの機械、塩分濃度計や大学の研究室払い下げのウォーターバスという1度単位で温度を保つ機械などがあります。


例えば、肉を焼く時など今までは指先の感覚で判断していましたが、
最近はもっぱら温度計を用いています。


1度単位で食材の表情が変わる。


新しいと思われるかも知れませんが・・・

とここからは更にマニアックになるので説明は省きます。


色々な事を頭に詰め込みまして、店の近くにある

雷山千如寺という所にノートとペンを持って、中庭を見ながらぼーっとします。


すると、ある日突然頭の中でカチリと音がなり、

バラバラのピースが一つになります。


その形をノートにしたため急いでキッチンに戻り試作に入ります。

約10年間、トウモロコシと向き合って完成した料理

昨年、一つの料理を開発しました。

トウモロコシのポタージュという、
名前だけきくと皆様御存知のアレなのですが、使っている材料が違います。


トウモロコシと塩しか使用していないのです。


ふつうは使用する玉ねぎやベーコン、生クリーム、
そして1滴の水さえも使用しておりません。

通常、という言い方は語弊があるかもしれませんが、美味しいトウモロコシのポタージュを作ろうと思ったら、


玉ねぎの産地や鮮度にこだわり、

使用するバターはフランスエシレのもの、
小麦粉は北海道のオーガニック、
生クリームは脂肪分45%の阿蘇のもの、

というような道を選びます。


しかし、その道には沢山の人が通った轍がくっきりとあるのです。
乱暴な言い方をすると「誰でも出来る」のです。


私の作った料理は、約10年間、トウモロコシと向き合って考えた料理です。

IMG_8405

芯から出汁を取ったり乾燥させて燃やしたり、
パウダー状にしたり、揚げたり、真空パックにして加熱したり凍らせたり。

ありとあらゆる可能性を探りました。そこでようやくたどり着いた一品です。


もちろん農家の方の弛まぬ努力が生み出したトウモロコシを使用するという前提です。

作り方は公開出来ませんが、この料理は誰でも出来ます。

ただ、産み出すことが容易ではないのです。

皆が気付いていない食材の可能性を探り、それを一つの料理として昇華させる。

料理は引き算だから、使用している食材が少ないから、この料理が凄いという単純なものではありません。

そこに私の哲学があるか。血が通っているか。今まで経験したことが反映されているか。


「自らを表現する料理か否か」

子供の時から美味しいものを無心で追求する私でないとたどり着けない料理。


もちろん過去に同じ料理を作った方はいるでしょう。
現代でもきっといると思います。


しかし、それを産み出すプロセスこそがその料理人の価値だと思っています。


絵かきが自らの内面を表現する為に絵を描くことと、
料理人が料理を作ることは、なんら変わりはありません。


「自己表現としての料理という考え方」


これが私の料理の中心にあります。

店舗情報

店名PINOX
お問い合わせ092-332-1006
Mail Addressinfo@pinoxpinox.com
営業時間

[火~木・日]
11:00~14:00(L.O)

[金・土]
11:00~14:00(L.O)
18:00~21:00(L.O)

定休日毎週月曜・第3火曜
Address〒819-1561 福岡県糸島市曽根691

水野健児の自己紹介

料理人一家に生まれる。

1980年に熊本で生まれました。

父方の家系は、
曽祖父が和菓子職人 祖父母が洋定食屋、叔父が中華料理、父は洋食の料理人
という料理人一家でした。

両親共に人吉市の出身です。

ちなみに祖父母の経営していた洋食屋さんの名前は「七福神」でした。道路を挟んだ向こう側にパチンコ屋さんがあったのが名前の由来だと思われます。

とは言え、特に英才教育的に育ったわけではありません。


米は魚沼産コシヒカリで、味噌は無農薬大豆から作る一子相伝の自家製で、
大間のマグロを一口食べては「お母さん、今日は脂のノリがイマイチだね」としたり顔で頷くようなそんな家庭ではありませんでした。


どちらかというと料理が苦手な母の作るものを主に食べて育ちました。

子供の時から食べ物が好きだった私は、とにかく食い意地が張っていました。

テレビで見る美味しそうな料理をみては、母にねだったものです。


デミグラスソースハンバーグ
牛テールスープ
和牛の赤ワイン煮込み


その都度母は、あがんとは子供の食べるもんじゃなか、と。


却下され続けました。


そのストレスの反動かどうかは分かりませんが、

ある日お小遣いで「きょうのおかず」
という本を購入しました。


あれは確か小学校5年生の時でした。

開くページ開くページに興奮したのを覚えています。

ある日テレビで「ペペロンチーノ」の作り方を取り上げていました。


私の持っている「今日のおかず」という本には載っていない料理
にまたまた興奮し、慌ててメモをとりました。


そのメモを母に見せると、「これなら全て揃う」と。


あの料理嫌いな母が立つ台所にペペロンチーノを作れる材料が眠っているなんて。
期待に胸を膨らませて待っている私の目の前には、次々とペペロンチーノの材料が。

しかし何かが違うのです。

オリーブオイルはサラダ油。

パスタ麺は「サラスパ」。

ニンニクはチューブ。

鷹の爪は、七味唐辛子。

そして、パセリのみじん切りは「青のり」


最後のは今考えてもあんまりじゃないかなと思うわけですが、
とりあえず材料は揃ったので作ってみました。

たっぷりのサラダ油ににんにくチューブと七味唐辛子を加え、しんなりとしたサラスパをドバッと入れて最後に大量の青のりを。

味はご想像にお任せしますが、
11歳の少年が大人に裏切られたと感じた瞬間の一つだったことは記憶に刻まれています。


中学生の時は、魚の「あら」、いわゆる骨と頭を買いまして、
潮汁をよく作ってました。

あらを丁寧に洗って、水から煮立たせ、アクを丁寧に取り除き酒を加え最後に塩で味を整えます。


たまに興味本位で味見をした父から

「汁物は一口目で美味しかったら、それはもう辛いんだ」という、なかなか高度なアドバイスを貰ったり。

 

中学卒業後、料理人の道へ

その時にはもう料理が楽しかったので、
将来はなんとか料理人になろうと決めておりました。

中学を出てすぐに働こうと決めたのですが、もちろん周囲は反対します。


親戚が近くの洋食屋でアルバイトをしていたのでそこを紹介してもらい、
その人に頼み込んでなんとか某ホテルに肉を納入している業者さんに繋がりました。


そこからそのホテルの料理長に繋げて頂き、

ありったけの思いをぶつけなんとか入社が決まりました。


15歳でほぼ裏口入社という、アンダーグラウンドなスタートでしたが、
これが私の料理人人生の始まりです。


それから今年で22年になりました。

福岡や佐賀、対馬で料理を学び、
23歳で福岡初の出張専門のレストランをオープンしました。


出張部門は今も継続しておりまして、今年で14年になります。


嘉穂劇場や元小学校、能古島やバラ園、ビーチなど、
キッチンが全くない場所でのウェディング。


100名規模のフィンガーフードパーティー。


ヨーロッパのブランドのオープニングイベント、そしてもちろん個人宅にも。

水野健児のHistory

1980熊本で生まれる。
産まれてすぐに大病を患い、本来考えていた「俊」という名前を、健康であればそれでいいとのことで「健児」となる。
1991初めて料理を作る。
パスタやコロッケ、ハンバーグ等、自分の食べたい物を作るスタイル。
福岡に引っ越す。
熊本の小学校は制服だったのに対し、私服の小学校だったため非常に戸惑う。
1995小倉ホテル入社。
立ち仕事の厳しさを知る。
人生初めてのカルパッチョを食し雷に打たれたような感動を覚える。
1998provence 入社。
一流の街場レストランの仕事を学ぶ。
2000<転機>
ヘルニアで入院。料理が出来ない辛さでかなり落ち込む。そして、これからの仕事の仕方を深く考える。
2003毎日長時間立ち仕事をせず、しかしクオリティの高い料理をしたいと考えた結果、出張料理専門店を立ち上げる。開始1ヶ月でほぼ福岡中のメディアに取り上げられ、結局忙しい日々を過ごす。
2005百道にレストランを建てようとするもあまりに高額だったため断念。
2006前原市(現糸島市)に土地を見つける。市街化調整区域になる1週間前だったので、即購入し地目を変更。それにより周りの土地には今後家が建たないという好条件。
2007Pinox オープン。
同年12月にリーマン・ショック。

色々ショックなオープン初年度。
2015嘉穂劇場にて出張披露宴。
劇場初の披露宴は、舞台上にキッチンを作り110名分のフルコースを提供。
2016グリーンパーク・元小学校・ハーブの温室での出張披露宴を次々に行う。150名程度のキッチンが無いどんな場所でもフルコースを提供可能に。
2017Pinox10周年を迎える。

水野健児の趣味

エレキギター

先輩から古いGrecoのエレキギターを譲り受けたのが、15歳の頃です。 意味もわからずガシャガシャ弾いていると、別の先輩が「ビートルズ」の譜面を持ってきて色々教えてくれました。
確か最初に覚えた曲はラブ・ミー・ドゥだったと思います。 狂ったように弾いていると、段々曲っぽくなってきて次第に頭の中は空っぽになり時間は矢の如く進んでいきます。
その時間は、いつしか私にとって大事な時間になり、今でも毎日5分は弾いています。 それから、バンドを組みたかったのですがそもそもメンバーをどうやって募集してよいのか分からず、とりあえず先に曲を作ることにしました。
そうすると、ドラムやベースも必要となり、結局一人で全部演奏をする事に。 夜中に鈴とタンバリンを持って、裏声でコーラスをレコーディングしていることもあります。  

絵画

絵画も趣味です。
直感的に描くのですが、習っていないので好きに表現することが出来ます。

店に絵を飾りたくて始めました。

カメラのレンズ

料理写真をプロにお願いする費用が勿体なくて(今ではプロにお願いしますが)、一眼レフを始めたのが25歳の頃。

レンズ沼にハマっております。

キャンプ

キャンプは8年ほど前から。

美味しいシャンパンを飲み、仔羊のもも肉を炭火で炙り、自家製のベーコンとチーズで仕上げた手打ちパスタを食べてます。

なので、最近「グランピング」なるものが流行っておりますがイマイチピンと来ません。

釣り

新鮮なシロギスをお店で提供したくて、サーフからの投げ専門ですが釣りもします。

砂浜から約150M程仕掛けを投げる釣りです。ゴミは必ず持ち帰ります。

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