高校生くらいの時って、若さゆえに生意気っていうか、自分は人とは違うんだみたいな変なプライドの様なものがあるじゃないですか。
それが自衛隊に入ってまずいきなりぶち壊されました。
馬鹿になれって言われたんですよ、もうお前らは何も考えるなみたいな。
衝撃的でした。駒になれってことですよね。
全否定ではないのですが、ゼロになる感じでしょうか。
今までの経験なんかは全部なかったことになったかのような、ゼロ地点からのスタートです。
そこで、ある意味リセットされました。
兵士として役に立つために、自分の意見とか考えじゃなくて、まずは言われたことをちゃんとこなせる様にならなければならない。
まずは自分を捨てて基礎を身につける。そのために訓練をする。
そんな中で、やっぱり出来る人、出来ない人が出てくるんですけど、出来る人も失敗するんですよ。出来る人の失敗でもって、全員が連帯責任で腕立て伏せをやることがあるんです。
だからそう考えると、誰しも完璧じゃないというか、何かしら失敗しちゃうこともあるんだなと。失敗した人を責めてたら、次は自分のせいでやることもあるし。
どんな人もみんな失敗するものなんだから、失敗を責めるんじゃなくて、その教訓を生かしつつ、挽回するために次みんなでどう作戦を組み立てて行くのか。
そういうポジティブな考え方を勉強出来たのかなと思います。
そして「こんな優秀な人でも失敗するんだから、自分も失敗していいんだ」と思えたんです。
それでかなり気持ちが楽になりました。
当時の上官が身につけていたスイス製の時計(オメガのシーマスターだったと思います)を見せてもらって機械式時計の世界に興味を持ったのもこの頃だったのですが、割と自然に独立時計師を目指そうと思えたのは、この時の経験がベースあったからだと思います。
そしてなんとなくですが、自衛隊に入って「死生観」みたいなものが自分の中に出来たことも大きかったのかな、と思っています。
演習で山の中に行って、穴を掘って陣地を作る。
そこに砲弾か何か飛んで来てバーンと爆発した時って、完全に生き死にを決めるのは運です。若い人も、お年寄りも、優秀な人も、そうでない人も、それらの属性と何の関係もなく皆死んでしまう。
誰しもいつか死ぬんだ、失敗してもなんとかなるんだというのは、すごく教わりました。
今も自分の中でこの時の経験が僕の土台になっているように感じます。