物心ついた頃から私、運動神経が飛び抜けてよかったんです。
運動会とかで、かけっこしたらいつもアンカーでごぼう抜き。体力測定を受けると、殆どの項目が円グラフの外側に大きくはみ出してました(笑)。だから大人になったら、私は体育の先生になるんだってずっと思っていたんです。
それに加えて、幼稚園の時にカメラマンだった友達のお父さんにスカウトされて、小学校5年生くらいまでモデルのお仕事もしていました。
地元デパートの広告や、ケーキ屋さんの広告とかに載っていたりしたので、街では結構有名な子供だったと思います。街を歩くと誰もが私のことを知ってて、みんなが私のことを褒めたり可愛がったりしてくれました。
だから私、生まれてからずっと人を騙す人がこの世の中にいるなんて想像もつかないような、ある意味天真爛漫な性格に育ったんだと思います。
でもこれが原因で後々いっぱい苦労するんですよね。
そうそう、習い事も色々やってて、小学校で書道8段、珠算1級。勉強も好きだったから非の打ち所がない子供だったと思います。
中・高と陸上を続けたのですが、結局、体育の先生になることは諦めました。
ある日、通っていた高校の女性の体育の先生と話していると、先生が「私、自分の子供の運動会に出たこと一度もないのよ」って話してくれたことがあって、あっ私には体育の先生は無理だって思ったんです。というのが、小さな頃から、私、結婚してお母さんになって子供を育てるのがずっと夢だったので。
体育の先生になる夢を諦めた私が、次になりたいと思ったのが、CA(キャビン・アテンダント)でした。
好奇心が旺盛だったから色んな海外を見て回れる仕事がいいなと思って。でも、タイミングが悪いことにその年、飛行機の墜落事故があって、父親から猛反対にあったことで、泣く泣くCAになる夢は諦めました。
その後目標がないまま、久留米大学商学部になんとなく入学しました。
当時はバブルの終わり頃でまだ世の中は景気が良かったんだと思います。パーティー・コンパニオンのバイトと地元の老舗トンカツ屋さんのバイトなど、いくつか掛け持ちしてまとまったお金が溜まったら、そのたびに海外旅行に出かけていました。