渡辺 俊洋

お気楽人生 エッジコンサル
『日本一明るく元気な重病患者』

渡辺俊洋のプロフィール画像です。

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アクセス情報

お店の名前お気楽人生 エッジコンサル
お問い合わせ092-531-6220
Mail Addresseban-eban0320@zg7.so-net.ne.jp
営業時間フリー(月・水・金曜日の9時から2時までは福岡赤十字病院で透析中なので、電話に出れません<m(__)m>)
定休日不定休
Address福岡市南区那の川1-12-14

渡辺 俊洋の自己紹介

自ら楽しみ、人をハッピーにする楽天家

週三回の透析を続けながら、面白いこと新しいこと大好きないいかげんおっちゃんです。

人生を変えた佐大フォーク研との出会い

初めて佐賀の町?へ行ってみたら町では無かった。


刺激も無い退屈な日々を過ごす中、大学祭のフォーク喫茶でフォークソング研究会と運命の出会い。

部員はたったの13人。

ベースマンとして勧誘され先輩とバンドを組み、四畳半で合宿生活。

以後、一切授業とは無縁のサークルオンリー生活。


放送局への飛び込み、司会、サークル登録のための規約・顧問工作など創成期ゆえの貴重な経験を経て部長就任、留年ばかりで誰も卒業しないので、卒業時には100人規模の大所帯に。

僕は優しい仲間達のおかげ??で奇跡の進級&卒業を勝ち得ましたけどね。

現場の大切さを知った損保マンの33年

損害保険会社、最初の赴任地は佐賀支社。


花の東京ではなかったけど、地元佐賀のお客様に可愛がられ、楽しく充実した営業生活でした。おかげで結婚もできました。

佐賀、福岡5年の営業を経て、昭和62年に東京本社に転勤。


3回日本一の実績に「田舎の優秀な営業マンの仕事を見てやろうじゃないの」的な冷たい視線や、保守本流のチャンピオンみたいな上司の苛めにもめげず、本社暮らしを約20年。

全国の農業現場を毎週のように駆け回り、中央団体の官僚チームには現場を知る強みで対抗、倒産保険・鳥インフルエンザ保険など今までにない保険を開発しました。

最後の四年間は現場にとの希望から横浜支店長。

本社と違う種々雑多なメンバーと女性活用で自由に新たな仕事にチャレンジし、楽しい充実の四年間を過ごしました。

「参加・体験・交流型本屋」書斎りーぶるを企画・運営。

博多に戻り半年後、佐大フォーク研の仲間に誘われ企画・コンサル等を行うネットワーク集団に参加。

ここで江戸時代から続く老舗書店のリニューアルオープンに取り組み、従来に無い「お客様が『参加・体験・交流』する本屋」の企画・運営者として5年間の熱~い体験を積み、作家・アーティスト・SNS・セラピスト・そしてメディア関係者など多くの方達とのご縁を繋ぐことができました。



書店社長の逝去に伴い閉店となり、現在は5年半前からの週三回の透析を続けながら、経営コンサルのお手伝いや気楽に病気や人生相談に乗りながら元気に生きています。

渡辺 俊洋のHistory

1955福岡県福岡市に生まれる。
おちゃらけな子どもとして伸び伸び育つ。
1973博多から都落ちし佐賀大学入学。
新設サークルであるフォークソング研究会との出会いがその後の人生を決める。
1977損害保険会社入社。
佐賀支社→福岡支店にて「歌って踊れる営業マン」として活躍。
1987東京本社へ栄転。
都会での田舎者の悲哀を思い知るとともに、官僚主義の渦に巻き込まれ煩悶の数年を過ごす。
1992不屈の闘志と世渡り能力&営業力で課長就任。
次長、部長と順調に職務をこなす。
200650歳で早期退職を決定。
最後の勤務を好きなサザンの地元横浜支店長として赴任、今までのやり方を根っこから変え、女性の戦力化・情報共有・人材育成により支店を立て直す。
201055歳で33年間務めた会社を退職。
家族を東京に残し郷里の福岡へ戻る。
2011老舗書店のコンサル開始、
今までにない「参加・体験・交流型本屋」書斎りーぶるをオープン。「角打ち本屋」など奇抜なイベントの企画運営に携わるとともに、地元福岡の奇妙でおかしな人物たちと濃ゆ~く濃ゆ~くつながる。
2012末期腎不全により人工透析開始(週三回5時間)。
2017書斎りーぶる閉店
2018

気ままにイベント・集客相談や糖尿病・透析など重病人でも幸せに生きれる健康コンサルも実施。あわせて、バンド・カラオケなどの音楽活動や、毎晩の酔いどれ人生を絶賛満喫中。
事業資金計画や経営改善計画で実績のある九州経営リスクマネジメント協会(代表:河津裕二氏)顧問として、中小企業・自営業者の事業計画・資金計画作りをお手伝い
http://k-mrma.com

渡辺俊洋の趣味

バンド活動(ベース)、カラオケ