廣貞葉子 nuu風とおる服 \シェアする/ NUUについて nuuの洋服と小物たちは、チェンマイと福岡を中心に活動するちびとのっぽの日本人ふたりぐみがデザインとパターンを担当し、タイの古都チェンマイの山岳少数民族、モンの一家族が縫製と刺繍を担当してひとつひとつ丁寧に作られています。 nuuのお洋服は泥の中から咲く美しいハスの花のような、たおやかで美しい洋服たちをイメージしつつ、身に纏う人が自分を表現しやすいツールとなるような服作りを目指しています。 身につけていただくと素材と縫製のクオリティ、着心地のよさ、ラインの美しさ、を感じていただけると思います。モンファミリーがぬう手刺繍はどこかなつかしいあたたかな日のひかりを呼び起こし、今と、それと結びついて自然の彩を運んできてくれる。自然素材と手仕事、彩をあわせ、ふんわりと包んでくれる、心地よく いとおしい服たち。みなさまと出会えるのを心待ちにしております。 廣貞葉子の自己紹介 タイ、チェンマイ発、nuuというブランド名の二人組でリネンを中心とした自然素材を使って洋服を作っております、nuuの片割れ、広貞葉子と申します。実店舗を持たず、福岡を中心としたいろんな場所でface to faceのイベント、展示会をしながら販売しております。人生の密度が濃すぎて、どこまでお伝えすれば良いのか。さらりと読んでいただけると幸いです(笑) 宮崎市で子供時代を過ごす 福岡市内で、三人姉妹の次女として生まれました。生まれて直ぐに父の仕事の関係で宮崎市に引越し、中学一年まで山猿のように裏山を駆け回り育ちました。学校の帰りにある蓮根畑で蓮の葉をとり、傘がわりにして帰ったことをとても懐かしく思い出します。近所に子どもがいっぱいいて、地域全体で子どもたちを育ててくれる、そんな温かな環境の中で育ちました。この時期が今も私の土台となるアミニズム的思考を構築したのだと思っています。小さい頃からおしゃれが大好きで、七五三はもちろん、着物や浴衣を着る機会があれば、どんなに暑かろうが寒かろうが着るのが大好きで、小学校の一時期は日記に毎日の自分のファッションを描いたりもしていました。 中学から福岡市へ 中学二年で再び福岡に戻り、当時とても荒れていた中学校の雰囲気に一気に染まり、ヤンキー的でありながらもダサい格好はしたくない、どっちつかずの中途半端な中学時代を送りました。なぜか初めて買ったCDはサディスティックミカバンドの黒船。高校は一つ上の姉が行っていた恐ろしく閉鎖的な小さなカトリックの女子校に行っていましたが、バカみたいに厳しい校則を打破ろうと、入学当時からスカートの丈を短くしたり髪型を変えたりして、罰として草むしりや、漢字の書き取りばかりしていた記憶があります。その当時付き合っていた年上のバンドマンの彼の影響を受け、ブラックミュージック、主にソウル、R&Bやブルースにどっぷりはまり、知識をひけらかしては周りの大人たちを面白がらせる、そんな女子高生でした。一浪を経て、東京の美術系短大に合格しましたが、なぜかその時専攻していたのが木材工芸。親の心子知らず、またもピノキオのごとく、学校よりも外のキラキラした世界に夢中になります。友達数人と雑貨屋さんの改装をやったり、友達と、ラジカセを学校の屋上に持ち込みひたすら踊るという、自称トランス研究会という作って遊んだり、あまり学校と関係のないことばかりやっていた気がします。おかあさん、ごめんなさい。 東京での激動の20代、物作りを始める。 この頃、初めての海外旅行がタイで、コパンガンという島で帰国1日前にパスポートを紛失し、這々の体で帰って来てそのままデング熱で入院した思い出も。テクノ、トランス、アンビエント、民族音楽に衝撃を受け、クラブイベントなどで自分たちで作った小物を売ったりしていました。その時出会った、世界各国から集まるトラベラーと呼ばれる人たちのライフスタイル、ファッションに影響を受け、自分で身につけるアクセサリーやバック、洋服などを古着でリメイクしたりして作り始めたのもこの頃です。今では野外フェスと呼ばれる野外イベントやお祭りのはしりを作っていた、悪くてステキな大人たちの中でたくさん遊ばせてもらいました。(20代)短大卒業後、代官山にある某アパレルショップの店員や、新宿二丁目にあるビルの最上階でやっていたニューエイジセンターの受付などをやっていました。ニューエイジセンターで働いていた時の思い出はあまりにも濃すぎて、書ききれませんが、いまでは聞き馴染みのあるスピリチュアルという世界を20代前半でどっぷり経験してその世界に嫌気がさした時期でもありました。会社が倒産してしまい、金銭的なストレスにより初めて10円ハゲができたのもこの時期。この後、代官山の今はなき、大地の氣ものというタイ、チェンマイ在住の日本人デザイナー、さとううさぶろうさん(現うさと)の第一号店で販売スタッフとして勤務。彼の作る布と染色の美しさに目を奪われ、一体どこで、どういう風にこの布を作っているのだろう、と思っていたところにチェンマイから帰国していたうさぶろうさんに誘われ、チェンマイに三ヶ月滞在させていただきました。 チェンマイに移住する その後日本に一度戻って来たものの、タイという国の魅力に取り憑かれ、1999年にチェンマイに移住しました。ここで服のデザイン、パターン、草木染めを学びました。チェンマイ滞在三ヶ月の間、うさぶろうさんに染めと織の村に言葉もわからないまま1週間一人で放り込まれます(笑)英語もほとんど通じない小さな村の中で、生まれて始めての言葉の壁というものにぶち当たり、猛烈に語学勉強を始めました。この時のカルチャーショックは強烈で、この体験をさせてくれたうさぶろうさんに大変感謝しています。その国の言葉をしゃべることでその国の人と同じ目線で話をしてもらえて、何か問題があった時にも親身になってもらえる。その国の本質が見えてくるので、ますますその国や人、文化が魅力的になります。顔が濃いのであまり日本人に思われなかったようで、いろんな人によくタイ語で話しかけられました。この時期はラオスやカンボジア、ミャンマー、ネパールに女の子一人で色々なところに行っていたので、今考えると危険ぎりぎりのぞっとするような出来事もいくつかありました。しかしそこは悪運強し、若さで乗り切っていました。 社長になり、数字の世界に身を置く。 うさぶろうさんのところを2年ほどで出た後、自分で小物作りを始めた矢先に、東京の友達からシルバーアクセサリーのブランドの制作プロセスの一部をタイでやりたいので手伝って欲しいと言われ、最初はアルバイト程度に始めたつもりが本気になってしまい、工場と会社を立ち上げ、雇われ社長の立場となり、最終的に職人さんを三十人ほど雇っていました。この時期はデザインの世界とは対極の数字の世界にいて、自分のやりたいことができないというジレンマがあり、また公私ともに大変苦しい時期ではありました。会社をやめる2年前にようやく自分のブランド、anichaa(アニチャー)を立ち上げましたが、あるきっかけがあったことで、社長という立場を友達に任せ、会社を出ました。あっという間に8年経っていました。経済的には潤い、いわゆるお金や権力みたいなものを自分で手に入れた時期ではありましたが、物質的な豊かさは人生にとって一番大切なものではなく、幸せのためのツールのひとつである、と身を持って実感した20代でもありました。 30代、NUUを立ち上げる。 (30代)その後結婚して二人の子をもうけ、少し子育てが落ち着いた頃に同じくチェンマイ在住のデザイナー、およびパタンナーの馬場裕子と一緒に、2013年から服作りを始めました。 当時のパートナーの絵のギャラリーを手伝う傍、チェンマイの街角に、地元のアーティストの作品と自分たちの服を置いた小さなセレクトショップをやっていましたが、離婚をきっかけに15年住んだ第二の故郷、チェンマイを離れ、福岡に戻って来て日本での販売を始めました。現在は、東京都富ヶ谷にありますpivoneで一年に一度の展示会と、福岡で定期的に行われる護国神社の蚤の市、独自の展示会、年に二回のバンコクでの展示会も新たに加わりました。独自の展示会の場合は、nuuの世界観をより深く表現してくれるアーティストのライブ、ワークショップなどもやりながら、楽しく展示会をしています。私が暮らしたタイの宗教観や文化などをわかりやすくお伝えできるようなワークショップなどもやっています。販売は本当に楽しく幸せな時間です。お客さまに一番似合いそうな色や形を探して、それがお客さまの新しい側面を見つけるきっかけとなったり、より魅力的になってくださった時の喜び!nuuを通して、お客さまがより自分らしさを表現できるお手伝いをできる事が何よりも嬉しいです。2018年8月に岡山県総社市にある登録型イベントスペース、円◎結(Marumusubi)で、長年の友人たちと共に初のファッションショーを開催しました。この試みは私たちの世界を大きく開いてくれました。展示会とは一味違う、チームで作り上げる一体感と多幸感。これから年に一度はここでファッションショーを続けていきたいね、と話しています。 廣貞葉子の趣味 強いていえば子育て。三人のツワモノたちを相手に毎日奮闘しながら学んでおります。こんな楽しいことはない!あと、漫画が大好き。少年漫画も少女漫画もどちらも読みます。今気に入ってるのがコナリミサトさんの凪のお暇や古い漫画で深見じゅんの悪女、雲田はるこの昭和元禄落語心中などなど。 廣貞葉子のHistory 1975福岡市で三人姉妹の次女として生まれる。小さい頃から漫画を読むのが大好きで、お母さんに怒られて外に出された時のために軒下に漫画を隠して読んでいた。裸で外に出ては行けないと知ったのは小学3年生くらい。1995東京女子美術大学短期学部入学1996初の自分で行った海外旅行でのタイで帰国1日前にパスポートを紛失し、周りが無理だというのも聞かず、警察署と日本大使館を何度も往復して獲得した海外渡航書。この時、何事も不可能はない、と悟る。あまりの必死さに心優しいタイ人のtuktuk運転手は運賃をただにしてくれた。タイ人の優しさが身にしみる。1998東京代官山に有った大地の氣ものでデザイナー、師、佐藤うさぶろう氏と出会う。師との出会いがチェンマイに移住するきっかけとなる。ホームシック及び、カルチャーショックで北タイの主食であるもち米を食べ過ぎて人生初に太る。1999タイ、チェンマイに移住2002東京にある某シルバーアクセサリー会社からの依頼で制作に関わり、のちにMOONWORKSという会社兼工場を立ち上げ、雇われ社長となる。2016タイにあるゴエンカ氏によるヴィッパッサナー瞑想という10日間誰とも喋らず、ひたすら自分自身と向き合う沈黙の瞑想を経験し、そこから諸行無常の美しさと儚さと表現するために自身のアクセサリーブランド、「anichaa」を立ち上げる。2010長女出産。生後二ヶ月で野外での音楽イベントの手伝いで10日間、テント生活をするという無謀かつ無知なことをする。2013チェンマイ在住の馬場裕子と共にファッションブランド nuuを立ち上げる2014次男出産。生後四ヶ月で周りも驚くような全身のアトピー性皮膚炎となり、改めて自分たちの食べるもの、着るものに対しての意識と行動を変えるきっかけとなる。また、親子の心と体のつながりの不思議について身をもって気づく。2015本帰国してnuuの日本販売を始動201718歳からの親友と結婚。次女出産2018nuu初のファッションショーを岡山の円◎結で行う