−− パッと見、男性と間違われることが多い名前だけど、女性だよね。
男の兄弟が多い環境で育ったこともあって、男の子っぽいところは多々ありますが、女です。
出身は本州の西の突端・下関。
大分県日田出身の両親が起業した地が下関で、関門海峡に行き交う船の汽笛を子守唄に育ちました。
長兄はカランコロンと下駄を履いて高校に行くような球児だったし、次兄は絵を描いたりベースを弾いたり、クリエイティブなことを好む人。
そんな二人は憧れの対象で、つねに兄の真似をしようとしたし、男の子の好きそうなものばかりに興味をもっていました。プラモデルをつくってみたり、男の子に混じって高い鉄棒から一回転して大きくジャンプするハングライダーという技を競い合ったり。母がフリル付きのピンクの服を買ってきてくれたのに、一度も着なかったりね。
−− 編集の道へ進むことになったきっかけは?
小学5年のころに転校してきた友達と、交換日記ならぬ「交換マンガ」をしたことが大きかったかもしれません。
B5サイズのノート見開き2ページに、今日のできごとと、それぞれで構想したマンガを連載し、交換しあったんです。卒業するまで毎日欠かさず続けて、60冊ぐらいになりましたね。
マンガの世界を遊ぶとことももちろんですが、このような相互編集をし続けるシステムを、二人でこっそりつくりあげて遊んだ営みそのものが、エキサイティングで夢中になったし、イメージを膨らませる装置にもなっていました。本当に楽しかった。
−− 編集者になったくらいだから、さぞかし本を読んでいたんでしょうね。
それが、そんなことはなくて。子供のころに読んだ本で覚えているのは、『龍の子太郎』や『白い牙』かな。
『窓際のトットちゃん』は号泣しながら、声を出して読んでいたけれど(笑)、本の虫というわけではまったくありませんでした。
読書体験で強烈に印象に残っているのは、小学6年の頃に国語の授業で音読させられた『ベロ出しチョンマ』。哀れで健気な兄弟にすっかり感情移入して、ひとり熱演。瞬時にあの世界に没入した体験は自分でも驚きました。
あとは赤川次郎や藤本ひとみの「まんが家マリナ」シリーズとか、さくっと読めるものばかり。
いやいや、不朽の名作といわれる本も読まなくちゃと、高校の時に初めて長編に挑戦したのがエミリー・ブロンテの『嵐が丘』。あの頃はドロリとした世界観に免疫がなかったので、酸欠状態になりながら最後まで読み通した記憶があります(笑)。きっと、いま読むとまったく違う世界が見えてくると思いますけど。
本格的に読むようになったのは、かなり遅くて20代後半からです。2000年、出産と同時に入門したイシス編集学校を通じて、校長の松岡正剛さんのめくるめくブックナビゲーション『千夜千冊』を読むようになってから。
読書を編集するという視点に目から鱗が落ちっぱなしで、劇的な変革でした。
そうした中でスパークした読書的事件は、伊藤野枝の生涯を描いた瀬戸内晴美さんの『美は乱調にあり』を読んでから。
そこから一気に大杉栄、玄洋社、与謝野晶子らの著書など、キーワードでつながり合う書物を読みました。読書って好奇心スイッチが入ると、こんなに夢中になれるのかと、自分でも驚きましたね。
気がつけば私の仕事場には本の山。いまでは本がそばにないと、落ち着かないくらいです。
−− どうして編集者になったの?
はじめから編集者になったわけではないんですよ。
幼い頃から、足だけは速くてね。高校で入った陸上部でその才能が一気に開花、県内の短距離界を牽引する選手になったので、高校三年の頃にお向かいの北九州市の大きな企業から声がかかり、陸上選手として入社することになったんです。
そこで3年ほど事務職を経験しました。退社後はデザインの専門学校へ通うため、博多へ移住。
小学校の頃から好きだったイラストの道を探っていたし、当時はいつか絵本をつくりたいという夢もあって、新聞配達しながら学び直しました。
そのあとです、編集者になったのは。福岡の小さな出版社に入ったのがきっかけです。ちょうど写植からDTPへ移行していた時代ですね。
5年で独立し、フリーで活動。一時期、就職をした時期もありましたが、結局フリーな働き方が性に合っているらしく、2009年に「edit station 瓢箪座(ひょうたんざ)」を掲げ再スタート、現在に至ります。
−− いまはどんな仕事が多いの?
実務としての編集でいえば、定期刊行物や広報ツール、書籍、パッケージまで幅広く手がけています。「こんなこと、できない?」というオーダーに極力応えるようにしていますので。
ここ数年は、読書にまつわる仕事、本のある空間での仕事が増えてきました。書店とコラボレーションしてイベントを連打したり、MUJIキャナルシティ博多店では、毎月1回、MUJIBOOKSの本を使った「三冊屋ワークショップ」を開催しています。
2016年に期間限定で開店した書店「RethinkBooks」では、自らバイトに志願して、本業の傍らで書店運営も経験しました。いつかは自分で編集空間(エディットカフェ)を開きたいという夢があるからですね。
−− これからどんな展開を目指しているの?
前述の「エディットカフェ」に直結しますが、「創発的な編集は机の上で起きてるんじゃない。現場で起こってるんだ」を体感する場を九州、福岡のどこかに立ち上げたいと、構想を温めています。
ここでいう編集とは、日々の暮らしや趣味趣向、年齢や職業、キャリアをまたいで相互作用を起こすという意味の、ライブな編集です。
私たちはつねにインタースコア(相互記譜)をめざしています。そのために不可欠なのは、有機的な人的ネットワーク。その面白さに気づかせてくれたのはイシス編集学校と、その九州支所「九天玄氣組」です。
2006年に発足した九州コミュニティーで、現在は組長として活動中です。発足して11年以上にもなりますから、ここいらでカタチにしたいと準備をはじめているところです。